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約50年前の7月7に起こった重大事故におもう 事故の当事者だからわかること

今から半世紀前に、山口県徳山にある石油化学工場で大きな爆発事故が起きた
毎年七夕の時期になるとこの事故を思い出す。先週も、徳山に出かけてその工場の前を通った。係長が死亡する惨事だ
この事故も公式な事故報告書や専門家の事故報告書は存在する
https://www.shippai.org/fkd/cf/CC0000040.html
事故が起こると事故報告書が作成される。しかし、文字で全てが書き表されるわけではない
強度的な問題など工学的なことは、理論であるから正確に表現できる。ところが,人間の心理に至っては表現があいまいなところがある
事故発生時何をどう考えていたのか、どう判断したのか、何を間違えたのかなどは記憶があいまいになっているからだ
私も過去に,事故調査の為、当事者にヒアリングをする機会が何度かあったがこの聞き取り調査というのは実に難しい
結局,ヒアリングする担当者を変えながら同じことを3回聞いてなんとか聞き取りを進めることができた
時間と場所と,質問者を変えて同じ質問をしてみたのだ 聞くたびに答えが違うことも何度かあった
結局あいまいなところは,報告書には書き表すことはできない 「なぜ」の部分が、書き表せないこともある
先日、ある人のブログを見ていたら、50年前のこの大事故の関係者と思われる人がこの事故を書いていた
産業安全と事故防止について考えるというブログだ 1973年7月7日山口県で起きた事故の記述がある
関係者しか知り得ないことがこのブログには書いてある
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Date/20200707/
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Date/20200714/
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Date/20200721/
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Date/20200728/
この事故には多くの教訓がある。貴重な教訓を残してくれた事故だ
事故から学ぶことは多い これからも,事故の教訓は次の世代に伝えていきたい

2025年07月05日

電気火災を甘く見ないで欲しい

電気設備が原因で事故が起こることがある。事故の原因は、様々だが接触不良と老朽劣化が多い
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieiej/29/8/29_612/_pdf/-char/ja
電気は電線を伝って流れる つまりどこかで、電気装置と電線とつながる部分がある
そのつながる部分、いわゆる接続部に接触不良があると熱を持つ
温度が上がってしまうと、電線を包んでいる樹脂製の部分が溶けて燃えだしてしまう
電線の被覆は、難燃性のものもあるがコストが高いのでどうしても安い難燃性を持たないものが多用される
電線に火がつくと、最初はくすぶりながら周りに熱が広がっていく。そのうち、あっという間に周辺の電線に火がつき広がっていく
電線に油などが付着していると速いスピードで火災が進展する
電線を床の下にはわせる方式では、このケーブルダクトの中を見てみれば工場の電気火災に対する管理状態がわかる
2002年に宮崎県の化学工場で大きな電気火災事故が起きている
https://www.chem-t.com/cgi-bin/passFile/NCODE/10610
当時の安全担当者に聞いたことがあるが、工場の人達は、まさかケーブルが燃えるとは思っていなかったというコメントがある
大きな間違いだ ケーブルが燃えると相当な発熱量がある しかも、延焼するから広範囲に燃える大火災になる
電線を覆っているプラスチックやゴムの燃焼熱量は、ガソリンの燃焼とさほど変わらないと言われているからだ
この電気火災では大火災となり周辺住民を大量に避難させる事故であった
通報が遅れたことも原因だ。課長が消防への通報指示はすぐに出したが、誰が通報するということが決められていなかった
誰かが通報したと皆が思い込んでいて、結果として通報が遅れてしまった
通報者を決めておかなかったのが、通報遅れによる被害の拡大につながった
もう一つ地下のケーブルダクトに大量の油があったことも要因だ
この工場では、機械に使われている油が地下のケーブルダクトに時間をかけて流れ込んでいた
ところが誰もその油が危険とは思い込んでいなかった。電気火花で当然油にも火がついてしまった
時間が経ってからケーブルの接触不良が起こることもある
新設時のねじの締め付け忘れや、締め付けのもれが時間が経ってから問題を起こす
1970年代に会社に入った頃は良くケーブルの増し締め作業を定修時にしていたのを覚えている
20年~30年経過した電源設備は老朽化という問題もある
私のブログでも何回か電気設備の老朽化の話をしているので検索してみるといい

 

2025年06月30日

非金属製シュートや樹脂パイプ使用で起こる静電気発火事故は繰り返す

工場で品物を投入したり、排出しようとするとシュート(シューター)と呼ばれる道具が使われる
例えばタンクや反応器の中へ原料や触媒を投入する時にもシュートが使われる
出来上がった製品を,装置から抜き出すときにもやはりシュートが使われる
斜めに傾けて製品などを下に送り出すのだ
シュートを使う時に必ず材質を考えて欲しい
軽いのが誰でも好まれるので,塩ビなどの樹脂製シュートが使われることが多い
金属製であっても,軽量化のために表面はポリエチレンなどの樹脂でコーテングされているシュートも使われる
シュートが金属製であれば事故は起きないのだが、プラスチックなどの非金属や,樹脂ライニング製シュートで事故は起こる
樹脂を使えば非導電性だから静電気が発生する。わずかに可燃性の物質が存在すれば,発生した静電気で着火火災となる
樹脂でできたシューターならー静電気は数万ボルトも発生することがある。静電気で着火するのは,数千ボルトもあれば足りる
過去に多く起きている事故は,プラスチックを使ったシューターで原材料を入れていたり,製品を抜き出しているときに起こっている
事故が起きてから,実施している安全対策はシューターを金属製にしてアースを取るか導電性のあるシューターに取り替えるかだ
たかが,シューターと甘く見ないで欲しい
こんな事故事例があるので紹介しておく。樹脂製のパイプを使って、フレコンから触媒を反応器の中に投入していた
樹脂製パイプの中では1万ボルトの静電気が、事故後の実験で発生していたことがわかっている
更に、投入していた触媒は新品のものだけでは無く、再利用品もあった為0.8%のベンゼンを含有していた
ベンゼンは可燃物だ、そこに1万Vの静電気が発生すれば簡単に火がつく
反応器内で作業をしていた、作業員の服もやけやけどを負ったという事故だ
事故の詳細と、再発防止策が紹介されている
http://www.khk-syoubou.or.jp/pdf/magazine/220/kikenbutsu_jikokanren_info.pdf
金属製で無ければ,静電気などは逃がせない。わずかでも可燃性の物質を取り扱うなら,非金属パイプや樹脂製シューターは使えない
危険物や有機溶剤など多くの場所で使われているはずだ
導電性のある道具を使わなければ発火事故は起こる
自分の工場にある,投入設備のパイプや投入シューターの材質が静電気が逃がせる物か検証して欲しい
石油、化学、金属加工、電気などあらゆる業種で材質が適切か点検確認して欲しい

 

2025年06月27日

化学工場で定修中の社員酸欠死亡事故に思う

姫路にある化学工場で先月の5月23日の起きた保全担当社員の酸欠死亡事故だ
定修中に起きた事故というのがまずポイントだ
https://news.yahoo.co.jp/articles/9562ffc32d68bb5b4ec1852a77ca0577f58133b4
マスコミの第一報では、ガス漏れとあったが、その後の情報ではガス漏れではなく、分析室内の酸素不足とわかった
企業の広報からこのような報道がなされている
https://www.daicel.com/news/2025/20250524_1117.html
定修中は、この企業では計装空気が空気ではなく、窒素に切り替わるのだという
圧力は変えずに組成だけが窒素になっていたというのだ
社員はそれを知っていたのか、知らなかったのかは起業の広報では書かれていない
定修中は、計装空気のコンプレッサーなどは点検で停まることがある
このようなときは、液体窒素を気化させ、計装空気代わりに送ることはある
とはいえ、こんなことを知っているのは工場の用役にかなり詳しくないと知らないだろう
たまたま、私も現役時代ボイラーや計装空気や窒素の設備を担当していたので知っているのだ
普通の人は、社員を含め計装空気が窒素になるとは知る人はすくないのだろう
皆さん方の計装空気がこのような運用をするのかわからないが、自分の工場の計装空気はどうなのか調べてみて欲しい
事故のあった分析室の酸素濃度は16%だったと言うから、酸欠による死亡事故だ
事故のあった分析室に換気ファンがあれば防げた事故だったのかも知れない
昔私の上司が、分析室内でガス中毒になったことが
この時は、冬で寒いからと言って分析室の換気ファンを停めていたことにより起きた事故だ
分析室などの換気ファンやブロワーは絶対に停めて作業しないで欲しい
換気ファンは命を守る道具だと思って欲しい

 

2025年06月22日

日本のコンビナートに影響を与えた最初の地震である新潟地震を知っていますか?

新潟地震というのを知っているだろうか 約60年前の今頃 1964年6月16日に起こった、大地震だ
https://www.data.jma.go.jp/niigata/menu/2024project/niigata_main.html
https://www.hrr.mlit.go.jp/project2024/history/1964.html
当時新潟には大きな石油工場があった
この地震で、石油工場のタンクが火災を起こし大きな災害となった
日本で始めて、本格的に大きな工場災害を引き起こした地震と言って良い
当時は新潟には,化学消防車は十分に なく、タンク火災にはなすすべも無かった
東京から化学消防車が応援に駆けつける有様だ
現場に化学消防車が到着したのは、2日後の朝5時だ
到着はしたものの,持っていた泡消化剤などの原液はわずかで、大型のタンク火災が消せるわけは無い
自衛隊も応援に入ったものの火災は鎮圧でき無かった
結局、当時のアメリカ軍しか泡消化剤を大量に持っているところは無く、米軍の協力でやっと火災を鎮圧できたのが当時の日本の実力だ
この事故から多くの教訓を得たが、もうほとんど忘れさられているのでは無いだろうか
一番目は,タンクなどの化学設備は地震を考慮した設計とせよだ
当時のタンクは,アメリカの規格をまねたもので耐震設計を考慮してはいなかった
二番目は、製油所や化学工場は自前の消防車をもてだ
地震のような災害時は,自治消防は民間人の保護で精一杯だ
化学企業などは,自分の火災は自分の消防力で鎮圧できる能力を持つべきだ
三番目は,耐火性能だ
球形タンクへの延焼事故もがあった。タンクそのものの爆発は逃れたものの、周りからの火炎で影響を受けた
特に,柱が火炎で簡単に曲がったのが問題となった
鉄でできた柱とて炎であぶられればひとたまりも無い
鉄も雨のように曲がる
この事故の教訓から,柱の耐火被覆という概念ができはじめた
そのほかにも多くの事故の教訓がある
過去の地震災害事故に学んで欲しい
https://khk-syoubou.or.jp/pdf/magazine/215/gijyutsu_info.pdf

 

2025年06月15日
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