事故や災害に思う

新幹線台車亀裂事故に思う

新幹線の重大インシデントの報道が伝えられて久しくない。音や異音、振動が出ているのに300K近くで走る新幹線が3時間も走り続けたというものだ。台車に亀裂が入っている写真を見せられてぞっとした人は沢山いるのではないか。あれほどの傷が出来てているのになぜ、長時間走らせたのか疑問に思っている人は多いだろう。
 人間は異常を感じてもそれを否定しようとする性質がある。特に、新幹線のような公共交通機関を走らせている人にとってはなおさらだ。運転を制御する列車運行指令所の人にとっては寸分の遅れなく運行させるのが与えられたミッションだ。それを、停止させたり遅らせたりすることは、自分のミッションに反することだ。自分の目や、耳で直接感じられない間接的な情報であればなおさらだ。
 化学プラントでも昔こんなことがあった。工場に地震計が設置された。これにより、正確な地震のgal(地震時の加速度)がだれでもわかるようになった。150gal以上の地震が起きたときは、化学プラントを停止するというルールが決められた。あるとき、150galを越える地震が発生したとき、あるプラントの製造課長はルールに従いプラントを停止した。しかし、いくつかのプラントの課長はプラントを停めることはしなかった。たいした地震ではないからと勝手に解釈し運転を継続することを優先したのだ。
 工場長は、それを良しとはしなかった。たまたま、事故が起きなかっただけで、もしかしたらプラントを停めなければ事故になっていたかもしれないからだ。工場長は、企業で言えば経営トップだ。経営トップが曖昧に、停めなかった製造課長を良しとしていたらいつか事故は起こる。経営トップが安全に停めることを常に繰り返し言い続けない限り現場の判断でなかなか停めることはない。事故後の記者会見で経営陣は、教育を徹底すると言っていたが、「教育」という問題以前の話のような気がする。停止するときの判断基準などを、誰でもわかり易く理解できるルールなくして、教育は出来ないはずだ。精神論ではだめだ。判断基準が「見える化」されていたのか、今後の調査報告を待ちたい。

2017年12月27日