コンピューターとつきあい始めて約40年

先日、自分のホームページを移設することになった。サーバーを提供してきた企業が、運営を辞めるというメールが突然送られてきたからだ。
メールにはいくつかの、移設先を紹介してあったが、どうすれば良いのか、移設先候補となるサーバーレンタル会社はどう違うのかも最初は皆目わからなかった。
移設の案内資料には、沢山の専門用語がならんでいるだけで、その意味を理解するのにかなりの時間を要した。
半日かけて、なんとか新規のサーバーレンタル会社を評価し、お試しがあるので仮登録してみた。
すぐに、どこにデーターを転送せよと連絡が来たが、これも一仕事だった。
今までのホームページデーターを転送してみたものの、なかなかホームページが画面に表れてこない。
色々試行錯誤して、どうやらサーバーの中にある新規ホルダーを創って入れることに気づいた。
試してみるとデーターは移ったが、今度は許可が無いと表示できませんと画面に出てくる。
そこで、いろいろサーバー設定画面とやらを調べたところ、あるところを設定しないと駄目なことがわかった。
そのほかにも、いろいろ設定しないと駄目らしくて結局朝から始めて夕方までかかってしまった。
でも、移設先のURLに自分のホームページ画面がくっきりと出てきたときには感動した。
まあ一日かかったが、なんとかこなせたのはコンピューターとの長いつきあいがあったからかなと思った。
会社でコンピューターというのを使い始めたのは、入社して6年目の1980年だった。
新規化学プラントの建設に携わり、当時自分に任された数億円の建設予算を管理するためにパソコンを導入した。
今のように、エクセルなどの表計算がない時代だったから、プログラムをBASICという言語で作成した。
製造現場には、DCSというコンピューター制御システムも導入した。ブラウン管式のCRT画面だ。
グラフィック画面を設計したり、プラントの自動制御用シーケンスを作成した。数億円の買い物だったが、プラントの自動運転化に多いに約だった。
その後、メンテナンス予算を作成するために職場にパソコンを導入した。
NECが売り出した、PC-8001を使いメンテナンス費用の管理や、点検台帳の印刷などをコンピュータ-で実施させた。
その後も、PC-9801などのコンピューターを導入し、課内資料を検索できるシステムを構築した。
当時は、文章もワープロだった。でも画期的だった。
コンピューターを使い始めて。かれこれ40年近くなるんだと気づいた。
草創期と比べるとすごい進化だなと思いつつ、次から次へと出てくる機能や新しい概念を理解していくのは大変なことだ。
技術の進歩恐るべしだ。

2018年10月14日