地震と工場火災

新潟地震というのを知っているだろうか
今から半世紀前1964年6月16日に起こった地震だ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E5%9C%B0%E9%9C%87
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/postwar/news/movie.cgi?das_id=D0001831086_00000
当時新潟には大きな石油工場があった
この地震で、石油工場のタンクが火災を起こし大きな災害となった
日本で始めて、本格的に大きな工場災害を引き起こした地震と言って良い
新潟には,化学消防車はなく、タンク火災にはなすすべも無かった
東京から化学消防車が応援に駆けつける有様だ
現場に化学消防車が到着したのは、2日後の朝5時だ
到着はしたものの,持っていた泡消化剤などの原液はわずかで、大型のタンク火災が消せるわけは無い
自衛隊も応援に入ったものの火災は鎮圧でき無かった
結局、当時のアメリカ軍しか泡消化剤を大量に持っているところは無く、米軍の協力でやっと火災を鎮圧できたのが当時の日本の実力だ
この事故から多くの教訓を得たが、もうほとんど忘れさられているのでは無いだろうか
一番目は,タンクなどの化学設備は地震を考慮した設計とせよだ
当時のタンクは,アメリカの規格をまねたもので耐震設計を考慮してはいなかった
二番目は、自前の消防車をもてだ
地震のような災害時は,自治消防は民間人の保護で精一杯だ
化学企業は,自分の火災は自分の消防力で鎮圧できる能力を持つべきだ
三番目は,耐火性能だ
球形タンクの延焼事故があった。タンクそのものの爆発は逃れたものの、周りからの火炎で影響を受けた
特に,柱が火炎で簡単に曲がったのが問題となった
鉄でできた柱とて炎であぶられればひとたまりも無い
鉄も雨のように曲がる
この事故の教訓から,柱の耐火被覆という概念ができはじめた
そのほかにも多くの事故の教訓がある
過去の地震事故に学んで欲しい

2019年12月28日