消防に関する法の沿革 その-2 戦後から高度経済成長へ

1950年代に入ると日本ではコンビナート言う産業形態ができはじめた
日本は軽工業から重工業へと変化を始めていた
1954年10月15日、四日市にある製油所で大規模なタンク火災がおこった
死者1名重軽傷者16名も出し、鎮火まで2日間かかった大災害だ
当時は、原因不明とされたが現在では、火災時に油が天板を壊して吹き上げるボイルオーバー現象が起こったと言われている
参考までに、ボイルオーバーに関する文献を紹介しておく
http://nrifd.fdma.go.jp/publication/houkoku/081-120/files/shoho_117s.pdf
1950年代には、コンビナートという巨大な化学工場群ができはじめる
1956年、川崎、四日市、岩国、新居浜に石油化学コンビナートの建設が決定され
1958年に三井化学岩国(日本最初のコンビナート)、住友化学新居浜のコンビナートが稼働を始めた。
コンビナートは巨大な化学装置の集まりである
それまでとは、規模そのものが違ってきた
取り扱う化学物質の量や種類が大幅に増え始めた時代でもある
石炭から石油へと原料が代わり、危険物そのものの危険性が増してきた時代だ
https://www.jpca.or.jp/files/trends/1_kokusanka.pdf
1959年4月、消防法が全面的に改正された
規制の主体者は従来市町村であったが、規制の主体者は国とすることにしたのである
危険物の規制数量も市町村ではなく国が法令で定めることにしたというように国家ベースで消防関係の規制が行われるようになった
1960年代に入ると、高度経済成長が始まる 化学プラントなどの規模もどんどん増加していった
https://www.jpca.or.jp/files/trends/2_o_gataka.pdf
従来型の、木造建築物火災をベースとした消防体制では成り立たない地域もできはじめた

2020年01月21日