事故や災害に思う

 教育と訓練について書かれた今から約40年前の論文を読んでみた。1973年(昭和48年)に日本で化学プラントの事故が多発したときに書かれた論文だ。当時、事故や災害が起きるのは、企業の教育や訓練に問題があるのでは無いかということが論議されていた。今でも、当てはまる話題が書き綴られているので紹介したい。

 最初の論議は、企業での教育は、本業務の一部なのか、余分な間接業務なのかだ。教育の位置づけに関する、根本に関わるところだ。現在でも、この辺が曖昧にされているところに事故の芽が潜んでいるような気がする。

 2番目の論議は、教育の主管は人事部門かだ。主管とは、責任を持って総合的に旗振りをするところだ。責任とは、経営陣からお金を取ってくることも含めてだ。いまや、各部門毎に教育の責任が振り分けられるものの、金銭的な裏付けは何も無く各部門の細々とした教育予算でなんとかやりくりされているのが実情では無いか。教育はコストだ。コストの切りつめがきびしいなか、製造や技術部門単独では教育の予算取りは難しい。

 会社の中で教育の旗振り役がいなくなってきているところにも、最近の事故の芽があるような気がする。

誰が人を責任を持って育てるのか、企業の中でだんだん曖昧になってきているような気がする。

人は時間が経てば勝手に育つわけでは無い。経験だけで育てようと思っても、今や失敗をあまり体験できない時代になってきている時代だ。

人を取り巻くリスクは消費税が上がるがごとくどんどん増えてきているのに、企業として人に知恵をつけることを怠っては事故は防げ無い。

教育は時間がかかる。少しずつでもいいから、こつこつと積み上げていくことだ。ちりも積もれば山となる。

2016年12月17日