日本の化学産業約100年-草創期 明治~大正時代 1910年代石炭化学

前回は、日本の化学産業を簡単に振り帰って見た。
10年一昔という。10年くらい経つと、設備や技術などが変わってくる。当然人も変わる。うまく技術伝承できなければ事故になる
取り扱う物質も、種類や量も変わってくる
約10年くらいのくくりで、今回から化学産業の歴史を振り返ってみたい
明治時代の日本の産業の始まりは、鉄からだった。あの有名な八幡製鉄所ができたのが1901年だ。
鉄を作るには、熱源として石炭から作られたコークスが必要となる。石炭を高温で蒸し焼きにしてコークスを作る。
蒸し焼きにするときに、大量のガスが出る。このガスには多くの化学成分が含まれている。
この石炭ガスから化学成分を取りだしたのが、日本の化学産業の始まりだ。石炭から化学物質を取り出すので石炭化学と言われた
日本では1910年代に石炭化学産業が始まったと言われる。九州の大牟田というところで石炭が多く取れ、石炭コンビナートができていた
海外では、ドイツのBASF社が、ハ-バ-・ボッシュ法を用いた本格的なアンモニア合成工場を1912年に稼働(年産8700トン)した
BASF社は、既に アリザリン染料の商業化にも成功して、合成染料の生産高は、全世界の90%を占めていたという
1914年に第1次世界大戦が始まり、日本も外国から染料などの化学物質の輸入が途絶えた
これをきっかけに、石炭から色々な化学物質を生み出すことが求められるようになった
爆薬の原料になるフェノールという物質も、大分の石炭コンビナートでトルエンを使って生産を始めたのが1915年だ
また、石灰という原料から化学物質を造るカーバイト産業も1916年に大牟田で始まっている。石灰窒素事業と呼ばれていた
ハーバーがアンモニア合成の功によりノーベル賞を受賞(ドイツ)したのは、1918年だ
アンモニアというのは肥料生産に欠かせ無いものだ。
従来肥料は、天然資源から製造していたが当時の人口増加に天然資源では対応ができていなかった
空気から、窒素と水素を取りだしアンモニアを合成する技術は当時画期的だった
人を食べさせるには、肥料が必要だ。日本でもアンモニアを製造する技術を手に入れたかったが、当時はBASFから技術は公開されていなかった
日本がその後、合成アンモニアをつくる技術を外国から手に入れたのは、1931年だった

石炭堀イラストは、イラストAC無料イラストより引用

 

2022年01月23日