事故や災害に思う

東北大震災からもう7年が経つ。3月11日になるとあの日の情景を思い出す。

私は、その日千葉県茂原市にある技術研修センターと言うところに勤めていた。その日の朝もいつも通りに、駅から工場の一画にある技術研修センターへ向かっていた。いつも通る交差点があるのだが、右折車が多くかなり気に掛けて渡るところがある。忘れもしない3月11日はその右折車がとても印象に残っている。猛スピードで、横断歩道を渡っている私の目の前を横切っていったのだ。そのとき何かいやな予感はしたが、まさか午後に大震災が起こるとは予想もしなかった。


当日、私の勤めていた技術研修センターでは安全工学会が主催した見学会で多くの企業の安全担当者が安全体験施設などを見学していた。14:46分床がうねるような勢いで大きく揺れ始めた。携帯の地震警報も鳴りひびいいた。すぐに、テレビをつけると最初のうちは状況がわからなかった。
しばらくして、あの津波の様子がテレビに映し出されるとやっと状況が飲み込めた。その後も余震が続いた。
技術研修センターは多くの人が集まるところなので、地震対策には力を入れていた。50年前のコンプレッサールームを転用したものではあるが、柱そのものはしっかりしていた。耐震性を持たす為に、かなりの追加梁を入れて補強したのを覚えている。おかげで、どこも壊れることもなくびくともしなかった。
当日は、電車も停まり帰宅できない安全担当者の方を会社の宿泊施設でお泊めし、食事の手配をしたのを覚えてる。研修施設なので40人分の宿泊施設を持っていたのが役に立った。その後、計画停電という形で、電気は途切れたが研修施設には停電訓練などに使う非常用発電機を保有していたので停電時も発電し情報を得ることができた。夜中2時過ぎだったと思うが、工場側の安全を確認して同僚の車で震災当日自宅に帰ったのを思い出す。帰り道、東京湾側を見ると真っ赤だった。千葉県の市原という所で、製油所のタンクが爆発していたからだ。あれからもう7年だ。

2018年03月11日