事故や災害に思う
雑誌で高圧ガスというものが発行されている。1979年の特集号を読んでいる。昭和48年に事故が多発した時に、原因究明などが一段落したときに特集として組まれたものだ。
特集号の記事の中身は、当時の主要事故の調査報告書がある。徳山で起こった計装空気の元弁を誤ってしめてしまった事故。市原で起こった、生きている反応器の弁を誤って開いていてしまった事故爆発事故。直江津で起こった、ハンドル廻しの爆発事故などだ。
2010年代に入って化学業界では、立て続けに大きな事故が起こっているが、昭和48年当時と酷似しているものがいくつかある。
日本の化学産業は、1950年代後半にコンビナートという形態ができた。エンジニアリングや運転の中心になったのが、たぶん当時の30代から40代だろう。当時の、定年は55歳だから、ちょうど昭和の70年代に多くの人が退職する。
コンビナートの建設に携わった、経験豊かな人が1970年代に会社を去って行ったのだ。だから、昭和48年という年に事故が多発したということにも符合する。
特集後の中には、当時事故の再発防止に向けて色々な事柄が書かれている。一部は、法律として既に取り込まれているものもあるが、昨今の事故のでも通用するものも多いと感じる。
課長や部長などの管理スパンが広くなりすぎていた。本社安全部門の機能が形骸化していた。つまり、本社機能が本来工場にも目を向けるべきなのに、官公庁との渉外に時間を取られ工場のリスクを見抜けていなかったなどだ。
安全衛生委員会も形骸化していたとの記述が、当時の資料にある。単なる報告に終わり、安全審議が行われていないなど厳しい指摘がある。
これは、多くの企業も耳が痛いところではないだろうか。
40年間前の教訓であるが、企業の安全担当者は一度は目を通して欲しい情報だ。
雑誌高圧ガス 1974年のVOL11 2月号だ 昭和48年の事故特殊号だ