事故や災害に思う 地下鉄非常停止ボタン事故
2016/4/4東京の地下鉄で乳母車を扉に挟んだまま電車が発車した事故があった。幸い乳母車には子どもは乗っていなかったのでけが人は出なかった。
しかし、挟まれた乳母車はホームの端の障害物にぶつかったのでたぶん粉々に壊れたのだろう。子どもが乗っていれば死んでたかもしれない事故だ
電車の扉は障害物が挟まれても,15mm以下なら検知せずランプは消え発車できてしまうと言う。
今回は、乳母車の挟まれた部分が15mmより細かったため検知出来なかったという。
10年ほど前にも同じような事故があり、国内の乳母車メーカーは15mmより太めの部材に改良したという。
今回の事故でも、乳母車が挟まれて電車が動いているのを見てホームにいた人が非常停止ボタンを押したと言うが電車は止まらなかった。
車掌は非常ベルの音は聞こえたが隣の駅まで運行させたという。つまり、ボタンが押されても電車は走り続けることが出来る設計になっているという。
しかし、地上を走るJRの非常停止ボタンは押されれば、強制的に電車が止まるという。設計の思想が全く異なるのだ。
地下鉄は、地下のトンネル内を走行するため火災時などを想定して自動的に停めない方が安全という考え方から非常停止ボタンが押されても強制的に停めないそうだ。しかし、今回の事故では火災では無い。すぐに、停止すべきなのに車掌は停めなかったヒューマンエラーだとされている。
一刻を争う非常時に人の判断を入れるとこのようなことになる。化学プラントも地震が起こったときに停止するかしないかは、
昔は人が判断してプラントを停めていた。私が勤めていたコンビナートの化学プラントでもある地震強度を越えると停止することになっていた。
あるとき基準を越える大きな地震が来た。本来なら、全プラントが停止するはずだが現場の判断で停めなかったプラントもいくつか存在した。
緊急時の人の行動は必ずしもルール道理にはいかないという事実だ。
マニュアルで決めているから人はマニュアル道理人が行動するとは限らない。過去の成功体験などが、人の判断を誤らせるからだ。
連続運転している化学プラントは、出来ることなら停めたくは無い。運転を継続したいのは誰でも同じだ。
しかし、安全を考え停めるという基準があるならそれを実行しないと何のために基準を作ったのかということになる。
たまたま、停止させなかったプラントで何も起きなかっただけである。
そんなこともあり、その後ある規模の地震が来ると自動的に化学プラントを停止するシステムに変わっていった。
人を介させずに安全に停止する手法を選んだのだ。
今回の地下鉄の事故は、ヒューマンエラーだと報道されているが人のミスでかたづけてしまうと事故は繰り返す。
事故を防ぐには人と機械(システム、安全装置etc)の両方の対策を組み合わせないと防げ無いからだ。電車が加速を始めたほんの数秒以内で人に判断をさせるやりかたでは無理があるような気がする。