日本の化学産業約100年- 1950年代 石油化学コンビナート始まる

1950年(昭和25年)と言う年は今から約70年前のことだ。日本の工業生産が戦前水準を回復した年でもある
1950年には山口県の岩国というところにある製油所がもう動き始めている
石油化学計画構想も出始め、わが国初の石油化学計画を通産省に提出している。化学産業の基礎原料が石炭から石油へと変わってきた時代だ
1950年という年は。朝鮮戦争が始まり大量の物資の生産が日本にも求められた。これを受け日本では化学物質なども増産を続けていく
塩化ビニルという化学物質の生産も始まった.現在でも使われている代表的なプラスチックだ
1951年には高圧ガスの利用拡大や石炭から石油への時代に対応して、高圧ガス保安法が公布された 
1952年になると、対日講和条約が発効され、日本に主権回復が回復して経済はますます活性化する
1953年には、日本初の白黒テレビ放送が始まる 
ポリエチレン製造に関しても、海外で低圧で触媒を使った製造法が開発されている。チーグラー触媒というものだ
1954年には、イタリアのナッタが、三塩化チタンを用いて、プロピレンの重合に成功した
チーグラー・ナッタ触媒(塩化チタンとトリアリキルアルミニウムとからなるものが代表的)によってポリエチレンやポリプロピレンなどオレフィンの重合の工業化と理論の解明が進んだ。石油を原料とした、プラスチックの時代が到来だ 
1954年は、国が石油化学工業育成の基本方針を決定した年でもある
民間の化学企業の動きは速く、1956年1月には石油化学計画を国に提出した企業が現れた。この年12月には工場の起工式が執り行われている
1958年には、山口県岩国と愛媛県新居浜市でコンビナートが動き始めた。当時のエチレン生産能力は、それぞれ2万トンと1.2万トン規模であった
コンビナートの稼働にも併せ、この年消防法が制定された
東京では、東京タワーが完成した年でもある。
翌年の1959年には、四日市のコンビナートでエチレンプラントが完成(2万2千トン)している.四日市コンビナートも稼働し始めたのである
誘導品のポリエチレンやエチレンオキサイドのプラントも動き始めたという。石油化学工業協会(石化協)という組織も発足した
http://www.jpca.or.jp/trends/50years.html  
法規制という観点からは、1959年に工場立地法が制定された.消防法も、規制の主体者が地方自治体から国へと移り始めた時代だ
エンジニアリング分野でも、ナフサ分解や液体原料のガス化などで高温技術の発展もしていく
1959年には、日本で始めて高張力鋼を採用した球形タンクが設置された。圧力容器に高張力鋼が使われ始めたのだ
とはいえ、溶接にはかなりの技量を必要とした
時代は、1960年代の高度経済成長へと移っていく

 

2022年02月01日