日本の化学産業約100年- 1960年代 日本の高度経済成長時代

1960年(昭和35年)代は、高度経済成長と呼ばれる時代。物は作ればつくるほど売れた時代だ。化学産業は、日本は大量生産の時代へと入っていく
1961年岡山県水島地区で製油所が稼働を始める。水島コンビナートが動き始めたのだ
1961年~1962年にかけて、大阪堺泉北地区の石油化学コンビナートも稼働を始める
計装分野では、空気式から電気式へと計器が変わり始める。https://www.azbil.com/jp/corporate/company/history/pdf/history100_12.pdf
1963年には徳山の製油所で電子式変位調節計が使われ始めたという。真空管からトランジスターへ電子技術も変化していく
1964年には徳山コンビナートで石油化学工場が動き出す.周南コンビナートも動き始めたのだ
一方で、工場規模が大きくなってきたことで災害の規模も大きくなり始めた
1964年は、新潟地震による新潟地区の製油所が被害を受ける。大規模な石油タンクの火災が起き地震対策の強化が図られた
https://www2.nhk.or.jp/archives/311shogen/disaster_records/detail.cgi?das_id=D0010060013_00000
1965年には、エチレン10万トン時代に入っていく。
1966年には、化学工業界初のプロセス制御用コンピューター(IBM1800)の導入された
https://ja.wikipedia.org/wiki/IBM_1800
大阪のコンビナートにあるアンモニア・尿素プラント、エチレンプラントの運転に活用されたという
ディジタル計算機により直接バルブが駆動されるDDC(Direct Digital Control)が実用化されたのだ
計算機が高価であったため多数のループを1台のCPUで制御する集中型であった。CPUが故障するとプラント全体が止まるというリスクはあった
1967年には、京葉コンビナートが動き出す。千葉での化学産業が始まった
静電気に関心が持たれ始めた時代だ。現場作業者への静電靴の着用が始まった.流速も1m/s以下を徹底し始めた時代だ
1967年は公害対策基本法が公布され公害問題へ対応が始まった時代だ。装置の大型化により公害という問題も起き始めた
1968年富山県の高岡で緊急停止中の、爆発死亡事故が起きている。当時は緊急停止が自動化されておらず、起こったヒューマンエラー事故だ
http://www.shippai.org/fkd/cf/CC0000145.html
1960年代はまだまだ自動化は進んでいない時代だ。緊急停止も人手で、多くの現場操作をする中で起こった事故だ
ヒューマンエラ-対策がやっと始まった時代でもある
1969年には、千葉のコンビナートで30万トン/年の大型エチレンプラントが完成する
この年は、東名高速道路が完成し、宇宙開発分野では米国のアポロ11号で、月面にはじめて人間が立つた年でもある
経済は発展し、時代は、1970年代へと移っていく

 

2022年02月03日