日本の化学産業約100年- 1990年代-バブル経済崩壊後の不況

1990年(平成2年)10月イラクがクエートに侵攻。第3次石油危機が発生した
1980年代末に日本経済はバブルがはじけ不景気の時代となっていたので、不安定さは更に増すことになった
景気は低迷し、1990年代は失われた10年といわれることもある。多くの化学企業で人の採用が減った
人を採用しないということは、省人化などにより技術伝承が難しくなってきた時代だ 
更に、1960年代の高度成長期に建設された多くの設備が老朽化を迎える時期にも当たり厳しい時代環境だった
1990年代に入ると世界規模で環境に対する関心が高まってくる。地球環境をテーマにした国際会議が行われたのが1992年である
この国連環境開発会議では、地球環境の保全に関する宣言や条約が合意されている。リオ宣言と呼ばれる。
有害化学物質管理に関しては、「環境法を定める義務」、「有害な物質を他国に移転しない努力」、「汚染者費用負担」などが盛り込まれた
1996年にはOECD(経済協力開発機構)から日本を含めその加盟国に対して、有害化学物質管理を導入するよう勧告が行われた
日本で化学物質を管理するPRTR法が施行される背景となる国際会議だ
この時代には、フロンによるオゾン層破壊や地球温暖化現象が、地球存続の問題として提起されてくる。環境問題にも敏感になり始めた時代だ
当然化学物質の管理に関心が集まってくる。
1996年、高圧ガス取締法が、「高圧ガス保安法」と改称。規制中心の法体系から自主保安へと大きく変革する
優良な事業者には規制を緩和し、国際的な競争力もつけさせようというねらいもあった
この時代、ISO認証という新たなシステム化の時代が始まった。1996年9月にISO 14001環境マネジメントシステムが制定された 
1987年に制定された、ISO9001(品質)と1996年制定のISO14001(環境)への認証取得が活発化した時代だ
化学企業も国際化へ対応していくためには、ISO認証が求められる時代になってきた
コンピューター技術面では、1995年と1998年に、WINDOW95,98発売。パソコンが大衆化していく
一般家庭でもパソコンを使い始めた時代だ.企業もパソコンの活用を模索し始めた時代でもある
技術資料管理、設備保全計画にも使い始めた。経験と勘の保全から、データーの蓄積による保全管理が始まった
デジタルカメラも1990年代後半には多く使われ始める。設備点検時の記録やトラブル報告にデジタル写真が活用され始めたのだ
色々な事故や災害の記録が写真として残り始めたのがこの時代からだ
経済面では厳しい時代ではあったが、コンピューター技術などは確実に進歩していった時代でもある
1999年に化管法という法律ができる。PRTR法とも呼ばれる法律だ。有毒な物質の発生量や場所を明確にすることが目的だ 
世界的な有毒物質管理の流れに基づいて出来上がった法律だ
正式名称は「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」だが、「化学物質把握管理促進法」を略して「化管法」とも呼ばれる。この法律では、化学品製造事業者はSDS(Safety Data Sheet)を作成し顧客などへ提供する義務を定めている。
失われた10年と言われる1990年代が終わり時代は、2000年代へと移っていく

 

2022年02月09日