今から約100年前の化学工場の事故や労働災害
大正元年は1912年。昭和元年が1925年だ。
歴史のある日本の化学企業などもこの時代から、化学物質を作り始めている
私の勤めていた三井系の化学企業は、1912年に石炭から染料の原料であるアニリンという物質を製造している
住友系の化学企業は、1913年に創業し肥料を作り始めている
時を同じくして、九州の水俣にも化学工業が始まっている。アセチレンを原料とした化学産業だ
化学業界で、今から約100年前に何があったかというと、アンモニアという化学物質の製造が始まったことだ
画期的な発明であるが、ドイツで、空気からアンモニアをつくる新しい製法が発見された
チッソと水素があれば、アンモニアができるのだ。しかし、約50MPa、800度の高圧、高温下での反応だ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%B3%95
https://www.titech.ac.jp/public-relations/about/stories/ammonia-synthesis
日本の企業は、まだ実験室で成功したばかりのこの技術を導入した
外国から技師を呼んで、外国製の機械も買い、日本でいきなり生産を始めようとした
外国製の機械とて、当時はそれほど信頼性は高くない。当然、水素が吹き出し着火爆発は日常茶飯事だったらしい
技術的に未確立の中で運転するのだから事故が起きて当然だ
当時の化学工場の様子はどうだったの色々調べてみたら、こんな本を見つけた
聞書水俣民衆史第4巻「合成化学工場と職工」草風館
http://www.sofukan.co.jp/books/33.html
数百ページの本の中に、当時の化学工場の運転状況や事故が書かれている
火災爆発は当たり前。町中に響きわたる、爆発音。
爆発するという前提で設計している。装置の廻りをコンクリートで覆い、爆風が上に抜ける設計だ
配管が破れれば、現場に飛んでいって弁を閉める。防毒マスクもないから、息を停めて現場に走り、弁を操作してくるのだ
生きるか死ぬかの世界だ。分析工も、薬液のガスを吸い長生きはしなかったようだ
職場によっては、1日で衣服が薬液でぼろぼろになると書いてある。とんでもない世界であったことが良くわかる
興味のある方は是非読んでみてほしい
この人達のおかげで今の化学産業がある
約100年前の平均寿命は43才から44才だったそうだ
https://www.taisho.co.jp/locomo/ba/sp/q1.html