真空プロセスで起こった死亡事故に思う
今から半世紀前の鹿島コンビナートで起こった、3人の若き研究者達が死亡した事故だ
1973年の12月4日に茨城県の鹿島コンビーナートで起こった爆発死亡事故を紹介する
1973年(昭和48年)というのは事故が多発した年だ 大きな事故が何十件も起きていた
新規開発した真空プロセスでの破裂事故である 死者3人、重軽傷者3人の大事故だ
http://www.shippai.org/fkd/cf/CC0000107.html
事故の顛末はこうだ
新規開発で実験をしていたところ色々トラブルも起きていた しかし、原因を究明せず実験は続けられた
開発スケジュールのプレッシャもあったのかもしれない
結果としてトラブルが引き金で実験設備が爆発し、尊い命が失われた
真空系設備の事故は意図して空気を吸い込むことで起こる
装置の一部から空気が漏れ込んでいるのに気づいていなかったのが原因だ
さらに、爆発性の高い副生物もできていたがそれに気がついていなかった
結果として爆発事故を引き起こしてしまったのだ
当時の担当部門であるお役所の労働省から詳細な事故報告書も発行されている
今から半世紀前の紙で出された報告書だが今は世の中には存在しない
紙というものは時間が経てば棄てられるからだ
この事故が起きる前に私はこの企業の就職試験を受けたことがある
たぶん事故の起こる1年前だったはずだ 結果として、この企業には就職しなかった
今でも思うのは、もしこの企業に就職していればこの新規開発事業に参画していたかもしれない
そこに自分が入れば、事故に巻き込まれていたかもしれない つまり死んでいたかも知れないのだ
その後私は、その企業とは別の化学会社に就職した。同じ化学の世界を歩むことになったもだが命拾いをしたのかも知れない
おかげでこのようなブログも発信できる
運命とはわからないものだ