事故や災害に思う
事故が起こったときに通報遅れという問題ががある。意図的なものもあろうが。結果としてそうなってしまうという現実がある。この、通報遅れというのは、その事実があっても「なぜか」は報道もされない。そこに、この通報遅れが減らない原因もあるのだろう。行政側も、原因を解析し広報する努力を惜しまないようにして欲しい。
数千件の事故事例を見てくるとこんなことも言える。通報遅れは、ガス漏れが案外多い。その理由は、どこから漏れているのか探し出すのに時間がかかったという理由だ。臭いや気分が悪くなったものの、どこから漏れているかの探し出すのは難しい。うかうかしている間に、住民側から消防などに通報が行くパターンだ。背景には、会社側の通報手順が明確になっていないことも多い。
ひどい話だと、大きく漏れた場合は---などと手順書に書いてあるケースだ。大きい小さいは、相対的なものだ。これでは、現場側は判断を誤ることになる。
もう一つのパターンは、通報権限は保安の管理者や工場長などと決めているケースだ。、これでは、現場に管理者や工場長が来ない限り通報はなされないから当然連絡が遅れる。人は、自分が納得しないと決断はしないからだ。
現場にいる人が判断できる通報システムを作らなければ、この問題は解決しない。
こんな話がある。今から数十年前、地震が起きたとき化学プラントを停める基準を作った。gal数に応じて、プラントを停止する定量的な基準を作成した後、地震が来た。工場内のプラント毎にばらつきがあった。基準通りに停めたプラントもあったが、停めずに運転を継続をしたプラントもあった。ルールはあっても、生産を優先する文化があった。しかし、その後停める文化を少しずつ醸成していった。工場長のリーダーシップで、安全に停められるシステムがあるのだから、安全に停めるということを徹底した。時間はかかったが、東北大震災の時にも、安全に停められたのはそういう文化を時間をかけて作り上げてきたからだ。
ガス漏れは、時間の関数で拡散する。遅れれば、広範囲に広がる。早めの広報も必要だ。避難も考える必要がある。企業の人達だけで対応は難しい。事故は、被害の拡大を防ぐことを最優先とする考え方も必要な時代だ。
たかが通報遅れではと思わないで欲しい。